9月1日に秀丸エディタを作成、販売しているサイトー企画へ表敬訪問してきました。
思えば特許翻訳を初めてから最近まで、秀丸エディタには長年大変お世話になっていました。作業の中心が秀丸エディタからCATツールへ移動した現在でも、違う形で実に様々な場面で秀丸エディタを活用しています。
強力なマクロ機能、柔軟性、Grep検索・置換、使い込めば使い込むほど世界に一つの自分だけのツールになっていく柔軟性を持った秀丸エディタは間違いなく自分にとって欠かせない存在です。
今回、その秀丸エディタの開発現場である福井県鯖江市のサイトー企画へ、知人で友人の杉山 範雄氏と二人で訪問しました。
まず驚愕したのは、このなんとも控えめなアピール!てっきり秀丸エディタのアイコンみたいなものが何処かにあるかと思ってました。ちなみに、斎藤秀雄氏のお父様だったかが経営しているサイトーバンキンという板金工場自社ビルに秀丸エディタの開発拠点が入っています。
インターホンを鳴らすと、出迎えて頂いたのは秀丸エディタの産みの親である斎藤秀雄氏。いきなりの登場だったので、テンション上がりっぱなしでした。
普通のお父さんみたいな、何も飾らない腰の低いかたでした。
サイトー企画は小規模な会社とはおききしていたのですが、そこはやっぱりWikipediaにも載り、日本のみならず世界にも名をはせている秀丸エディタの開発元、少なからずサーバーやパソコンが並んだ開発現場を予想していたのですが、普通のマンションの一室のようなところに机を幾つか並べた、非常に慎ましやかな作業場でした。
どこの家にでもあるような、少し大きめのパソコンに、WindowsのSurfaceを繫いでデュアルモニターにしたものが開発用のマシン。しかし、なにげにモニターは4K対応、さすがでした。
現在、斎藤秀雄さんはコーディングに直接携わってはいないみたいで、山本さんという、斎藤さんの元同僚の方コーディング及びサポートをされています。物静かで穏やかな方でした。訪問時は、ちょうど秀丸エディタのデバッグを行っていたようで、画面にはまさに秀丸エディタを形作るソースファイルが開いていました。ここで私のテンションはMAX。鼻血が出るかとおもいました。
その後、秀丸エディタのこれまでの歩みや、今後のバージョンアップの予定、展望について非常に貴重なお話が聞けましたが、こういう公の場で詳細を述べるのは控えさせてもらいます。
一つだけ言えるのは、何があってもMac版やLinux版の秀丸エディタが開発されることはないとのことでした。
結局、一時間程度の訪問予定が結局二時間近くお邪魔してしまいました。
これだけのヒット商品を産み出した方々ですが、お二人とも気取った雰囲気を微塵も感じさせず、気さくにお話しいただけました。
最後、帰りは予定の電車まで時間がなかったので、山本さんが車で鯖江駅まで送ってくださいました。残念ながら、あと一歩のところで電車には乗り遅れてしまいましたが、本当に感謝感謝です。